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地震

日本のみなさん地震の件で心配をいただいて
いろいろと連絡をくださってありがとうございます。


先日12日午後6時20分(日本時間13日午前8時)に
ハイチの隣に陸つながりで位置する
ドミニカ共和国でも地震がありましたが
私も他のボランティアも全員無事です。


いやー・・・
でもとっても怖かったー・・


当時私は、仕事から帰って
家族と一緒に椅子に座っておしゃべりしていたら
急に頭がグルグルっと回るようなにすごい眩暈がして
周りが騒ぎ出したのでそれが地震だと気が付いてから
そのまま1分くらいユルユルと揺れが続いておさまった。


余震が続く事もなかったので比較的私は落ち着いていたけれど
ただ怖かったのがその後、ラジオとテレビの報道で
首都と、私の任地のプエルトプラタに「津波警報」がでた。


「津波が来るかもしれない!」と近所みんながギャーギャーと騒いでいるときに
さらにプエルトプラタに関しては津波予定時刻まで明確に報道されたから状況はさらにパニックに。


私の街の津波報道がラジオで発表されたのが午後6時40分。
津波予定時間は午後7時~7時半だったので
報道があってから津波予定時刻まで20分しかなかった。


首都のJICA事務所からも私の携帯に非難指示の連絡が入り
追い討ちをかけるように私の家の前のビーチの海水が
通常よりも7メートルも引いているという報道も入った。



私はすぐに長袖のパーカーを着て
スニーカーに履き替えて
貴重品と大切なものをバックひとつにまとめて
1分あまりで用意をして
もうこの家には戻ってこれないかもしれないという気持ちで
津波報道があってからほんの2,3分後には家族全員と一緒にで家をでた。


私たちが家をでた時には近所の住民はすでにほとんど避難していて
消防の人たちや警察の人たちだけが真っ暗の夜道にチラチラと見えた。


私は家族と一緒に
少しでも海から遠くへ遠くへと
いつ背中のほうから津波がくるのかとビクビクしながら
大雨の中びしょびしょになりながら傘をさすのも忘れて早足で歩いて
無言でひたすら黙々と歩いて・・
私たちは家から15分ほど離れた親戚の家までいくのが精一杯だった。


私はサンティアゴという内陸部の都市まで避難したかったけれど
大雨で交通状態も悪く余震があると危険なので諦めて
その上、高台や丈夫な建物、高層ビルなんてものは近所にはないし
ただでさえ私の任地は海に囲まれているから
津波がきてたらひとたまりもなかっただろうと思う。


子供たちはみんな怖くて声をあげて泣いていたし
私のママも親戚の人たちも涙を目に一杯うかべて
聖書を片手にずっと祈っていて
私は日本の家族と彼氏と友達の写真をお守りに持って
みんなと一緒に待機していた。



いつ、今にでも津波がきて
飲み込まれてしまうものかと思うと
私はなぜかとても冷静で
泣いている子供たちを抱きしめたり
怯えているママの背中をさすったりしていた。



幸いにも結局津予定時刻を過ぎても波がくることはなく
私たち家族は行くあてもなかったので
夜の11時には海の前の私たちの家にもどった。


戻ってみると部屋の天井にはヒビが入って
雨漏りで床に水たまりができていた。


自宅に戻っても家族みんな寝られず怯えていたが
ちょうど私たちが家に戻った頃に、彼氏から「今ネットでドミニカ共和国のプエルトプラタの津波警報は解除されたって情報がでているから」と日本から私の携帯に連絡をくれて、そのおかげで私も家族もだいぶ落ち着きを取戻した。



翌朝目が覚めたら
いつもどおりの朝で
生きていたのでホッとした。



ドミニカ共和国とハイチとは陸続きの同じ島だが
ハイチは世界でも最貧国の国のひとつだ。


ドミニカ共和国に出稼ぎにきているハイチ人もいるし
ハイチに訪れた事のあるドミニカ人の友達から
以前何度かハイチの話を聞く機会があった。


食べ物の取り合いで包丁を振り回して
切り落とされた首が道路に転がっていたり
移動のためトラックの荷台に何十人もの人がぎゅうぎゅうに乗って
そこから何人かコロコロと転げ落ちた人たちが車に引かれて死んでいたり・・

ハイチはそんな国だ。



今回も20万人以上の死者がでていると報道されているが
毎日の新聞やテレビの写真を見ていると
本当にやりきれない気持ちになる。


道には死体の上に死体が重なり
その上を人が這って歩いている状況だそうだ。



日本はいろんな意味で幸せボケをしている気がする。
私たちは生まれながらにとても物質的に恵まれた環境にいるということを
知っておくことはとっても大切なことだと思う。



今年も一年私の家族、友達、みんなが
健康で安全な
豊かな日々をおくれますように。







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コメント

jo

ハイチで地震と聞いた時、
ドミニカ共和国の協力隊のことが
一番に浮かびました。

記事読んで安心。
大変だったね。
でも、よかった。

同時に、亡くなったたくさんの人の
ごめい福をお祈りします。

コメントありがとう。
地震はどこにいてもありえるし
そちらも安全と健康には十分にきをつけてね。

無事任期を終えて
また日本でいろいろ話せるのを
楽しみにしてるよー。

コメント遅くなってごめんね。

何よりもまず、ミキティーと周囲が無事でよかった。
でも恐い思いをしていたんだね。

暗い雨の中、いつ来るか分からない津波から逃げるなんて…
本当に津波が来なくてよかった。

ハイチの情報が大変だ、と私も聞いている。
ひとつでも多くの命が助かりますように。

あ、明けましておめでとう。
無事の再会を胸に!楽しもうね!

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